2022年9月25日~27日
2泊3日で立山から大日岳を縦走しました。
今年の夏は天候の良い日は少なかったですが、紅葉の始まる時期になって、やっと好天の中を縦走することができました。
立山は観光地の延長という感覚もありますが、大日岳と結ぶと、結構、歩き甲斐のある登山となります。
いつも剱岳を見ながらで、久しぶりにすっきりとした縦走を楽しみました。
9月25日(日)
前日は富山駅の近くに宿泊、早朝、電鉄富山駅から電車で立山駅へ。車窓から、剱岳が朝焼けの中で迎えてくれました。北方稜線が鋸の歯のように見えます。
富山駅の始発電車に乗ったのですが、三連休の最終日ということで立山駅では2時間近く待たされました。
立山駅では熊出没の注意書きがありましたが、その横に、必要のない所では「所構わず一日中鳴らし続けるのはやめましょう」との表示もありました。確かに熊よけというよりも、アクセサリーとして駅の中でも「チンチン」と鈴を鳴らしている人がありました。私も今回は熊鈴を持ってきましたが、音を立てるのは嫌いなので、最小限にしようと思いました。
予定どおりの時間に室堂に到着できなかったので、予定していた浄土山経由はあきらめて直接一ノ越へ向かいました。
一ノ越まではコンクリートと石で固められた舗装道路です。大変歩きにくい、つまらない登山道ですが、舗装しないと、どんどん荒れて、えぐれて行くことが予想されますので止むを得ないことでしょう。将来的にはこのような舗装された登山道が増えるかもしれません。
一ノ越の近くから、明日向かう大日岳です。
一ノ越から雄山頂上までは上り下りの一方通行です。家族連れも含めて、たくさんの人で賑わっていました。
雄山まで登ると視界が開けて槍穂高が見えてきました。
この夏に計画して、悪天候のため中止した薬師岳からの縦走路も見えます。
雄山頂上付近は多くの人で賑わっています。
雄山神社を越え、振りかえります。残雪期はこの辺が危ない所です。
雄山越えると、登山者は少なくなります。
室堂からも分かりますが、雄山を越えると、なだらかな稜線歩きです。
北側の展望も開け、手前から真砂岳、別山、その奥が剱岳です。頂上から右に延びる八ツ峰が立派です。
黒部湖と黒部ダムです。とがったピークは針ノ木岳です。
大汝山の手前でライチョウに出会いました。
立山では一番高い大汝山(3015m)は、縦走路からピストンしました。
富士ノ折立から急斜面を下ると、真砂岳へ歩きやすい尾根道になります。
明日たどることになる大日岳への稜線です。
富士ノ折立を振りかえると、きれいな形をしています。富士山に似ているから、この名前でしょうか。
この日は内蔵助山荘に泊まりました。小屋からは後立山方面が一望できます。
日没直後、雲海が広がり、大日岳が雲海に沈みかけています。
内蔵助山荘という名前は、厳冬期に富山から立山を越えて、浜松の徳川家康に会いに行った戦国時代の武将、佐々成政内蔵助にちなんでいるようです。山荘を黒部側に下ると、静かな内蔵助平があります。
9月26日(月)
翌朝、東の空が赤く染まっています。
前日も見えていましたが、富士山がきれいに見えます。南アルプスの甲斐駒・北岳から塩見岳の稜線も見えています。
空の色が微妙に変わっていきます。
御来光です。雲がないと空があまり染まりませんが、雲が水平線近くにあると日の出が見られません。この日はちょうど良い加減の雲になったようです。
内蔵助山荘と真砂岳も赤く染まっています。内蔵助山荘は小さな小屋ですが、展望の良い小屋です。
これから向かう別山方向も染まっています。
日の出とともに出発しました。私の影が長く伸びています。
日の出から半時間ほどして、ようやく大日岳にも陽が差してきました。右から奥大日岳、大日岳、中大日岳です。
別山から見る剣岳で、ここから見ると、どっしりとした感じです。右のスカイラインが八ツ峰、その手前、頂上から右下に延びるのが源次郎尾根です。
白山も見えています。
剣沢のテント場です。
夏から秋の雲に変わるつつあるようです。
昨日歩いた立山の、雄山・大汝山・富士ノ折立・真砂岳を振りかえります。
別山から剣御前を経て、大日岳へは一旦大きく下ります。
室堂方面を見ます。遠くに薬師岳も見えます。
上の方は紅葉の時期です。
一旦隠れていた剱岳が再び姿を現しました。
室堂乗越を過ぎて、右の奥大日岳に向けて登ります。
ここでもライチョウに出会いました。前にいる2匹を見ていると、もう1匹が私の足元を通って合流しました。ライチョウほど人を恐れない(無視する)野生の鳥獣はいないように思います。
こちらは目の上が赤く
こちらは目の上の赤がありません。赤のある方は母親で、こちらは今年生まれたヒナのように思います。随分と大きくなったようです。
バス道路のある対岸の弥陀ヶ原方面と、その間の称名川です。
奥大日岳に到着、ここから早月尾根がよく見えます。確かに長大な尾根です。
別山方面から見る、どっしりとした感じと違って、大日岳方面からは尖った荒々しい感じの剱岳です。右の稜線が一般ルートの別山尾根ルート、右端の肩が前剱です。
正面が剱岳では最悪の場所と言われた東大谷上部の岩壁で、ルートの開拓は遅れたようです。
奥大日岳までは平日にもかかわらず、かなりの人がいましたが、大日岳への稜線に入ると、あまり人に出会いません。
ゴールの大日岳から、昨日から歩いてきた稜線が全部見えます。
夕方になると雲海となりました。剣の北方稜線につながる猫又山、その奥の毛勝山です。
日没直後、遠くの白山から、ずっと雲海です。雲海は狭い谷間に発生することが多いと思いますが、石川県から岐阜県、富山県と広い範囲の雲海は初めてです。
佐々成正の埋蔵金伝説のある鍬埼山も島のようになっています。
この日は大日岳の近くにある大日小屋に泊まりました。コロナの関係で定員を減らしていて、隣との間にカーテンがあるなど、以前の一畳に2人は当たり前、下手をすると二畳に5人などということはなくなりました。ただ、土日などになれば、早い時期に予約が必要など、厄介な時代になりました。
9月27日(火)
翌日、朝焼けで剱岳の奥が少し赤くなりました。この日は下り坂で、途中で少し雨も降りました。
この日は一気に1400mほど下ります。
前日、小屋で聞くと少し前にクマの目撃情報があったとのこと。熊鈴の音は好きでないですが、鳴らしながら下山します。
急斜面を下ると、途中で平坦な大日平になります。国際的に重要な湿地を守るラムサール条約の登録地になっていて、木道が続いています。
大日平山荘に到着。小屋の後ろに行くと、左奥に不動滝が見えます。
流れているのは称名川で、下流に称名滝があります。
しばらく湿地帯の平坦な木道を進みますが、再び急斜面になります。特に石が非常に滑りやすく、雨でぬれているので大変でした。このように階段や鎖もあって、また丁寧に切込みを入れていただいているのですが、それでも何回か滑りました。
登山口に到着後、バス停とは逆方向に向かうと日本一の落差350mの称名滝です。
称名滝バス停から富山電鉄立山駅へ、再び富山駅に戻り帰宅しました。
今回は最初の電車の車窓から始まり、最終日の朝まで、いつも剱岳を見ての山行でした。まだ登りたいルートもあるのですが、剱岳が次第に登る山から見る山になっていくようです。
前日は富山駅の近くに宿泊、早朝、電鉄富山駅から電車で立山駅へ。車窓から、剱岳が朝焼けの中で迎えてくれました。北方稜線が鋸の歯のように見えます。
富山駅の始発電車に乗ったのですが、三連休の最終日ということで立山駅では2時間近く待たされました。
立山駅では熊出没の注意書きがありましたが、その横に、必要のない所では「所構わず一日中鳴らし続けるのはやめましょう」との表示もありました。確かに熊よけというよりも、アクセサリーとして駅の中でも「チンチン」と鈴を鳴らしている人がありました。私も今回は熊鈴を持ってきましたが、音を立てるのは嫌いなので、最小限にしようと思いました。
予定どおりの時間に室堂に到着できなかったので、予定していた浄土山経由はあきらめて直接一ノ越へ向かいました。
一ノ越まではコンクリートと石で固められた舗装道路です。大変歩きにくい、つまらない登山道ですが、舗装しないと、どんどん荒れて、えぐれて行くことが予想されますので止むを得ないことでしょう。将来的にはこのような舗装された登山道が増えるかもしれません。
一ノ越の近くから、明日向かう大日岳です。
一ノ越から雄山頂上までは上り下りの一方通行です。家族連れも含めて、たくさんの人で賑わっていました。
雄山まで登ると視界が開けて槍穂高が見えてきました。
この夏に計画して、悪天候のため中止した薬師岳からの縦走路も見えます。
雄山頂上付近は多くの人で賑わっています。
雄山神社を越え、振りかえります。残雪期はこの辺が危ない所です。
雄山越えると、登山者は少なくなります。
室堂からも分かりますが、雄山を越えると、なだらかな稜線歩きです。
北側の展望も開け、手前から真砂岳、別山、その奥が剱岳です。頂上から右に延びる八ツ峰が立派です。
黒部湖と黒部ダムです。とがったピークは針ノ木岳です。
大汝山の手前でライチョウに出会いました。
立山では一番高い大汝山(3015m)は、縦走路からピストンしました。
富士ノ折立から急斜面を下ると、真砂岳へ歩きやすい尾根道になります。
明日たどることになる大日岳への稜線です。
富士ノ折立を振りかえると、きれいな形をしています。富士山に似ているから、この名前でしょうか。
この日は内蔵助山荘に泊まりました。小屋からは後立山方面が一望できます。
日没直後、雲海が広がり、大日岳が雲海に沈みかけています。
内蔵助山荘という名前は、厳冬期に富山から立山を越えて、浜松の徳川家康に会いに行った戦国時代の武将、佐々成政内蔵助にちなんでいるようです。山荘を黒部側に下ると、静かな内蔵助平があります。
9月26日(月)
翌朝、東の空が赤く染まっています。
前日も見えていましたが、富士山がきれいに見えます。南アルプスの甲斐駒・北岳から塩見岳の稜線も見えています。
空の色が微妙に変わっていきます。
御来光です。雲がないと空があまり染まりませんが、雲が水平線近くにあると日の出が見られません。この日はちょうど良い加減の雲になったようです。
内蔵助山荘と真砂岳も赤く染まっています。内蔵助山荘は小さな小屋ですが、展望の良い小屋です。
これから向かう別山方向も染まっています。
日の出とともに出発しました。私の影が長く伸びています。
日の出から半時間ほどして、ようやく大日岳にも陽が差してきました。右から奥大日岳、大日岳、中大日岳です。
別山から見る剣岳で、ここから見ると、どっしりとした感じです。右のスカイラインが八ツ峰、その手前、頂上から右下に延びるのが源次郎尾根です。
白山も見えています。
剣沢のテント場です。
夏から秋の雲に変わるつつあるようです。
昨日歩いた立山の、雄山・大汝山・富士ノ折立・真砂岳を振りかえります。
別山から剣御前を経て、大日岳へは一旦大きく下ります。
室堂方面を見ます。遠くに薬師岳も見えます。
上の方は紅葉の時期です。
一旦隠れていた剱岳が再び姿を現しました。
室堂乗越を過ぎて、右の奥大日岳に向けて登ります。
ここでもライチョウに出会いました。前にいる2匹を見ていると、もう1匹が私の足元を通って合流しました。ライチョウほど人を恐れない(無視する)野生の鳥獣はいないように思います。
こちらは目の上が赤く
こちらは目の上の赤がありません。赤のある方は母親で、こちらは今年生まれたヒナのように思います。随分と大きくなったようです。
バス道路のある対岸の弥陀ヶ原方面と、その間の称名川です。
奥大日岳に到着、ここから早月尾根がよく見えます。確かに長大な尾根です。
別山方面から見る、どっしりとした感じと違って、大日岳方面からは尖った荒々しい感じの剱岳です。右の稜線が一般ルートの別山尾根ルート、右端の肩が前剱です。
正面が剱岳では最悪の場所と言われた東大谷上部の岩壁で、ルートの開拓は遅れたようです。
奥大日岳までは平日にもかかわらず、かなりの人がいましたが、大日岳への稜線に入ると、あまり人に出会いません。
ゴールの大日岳から、昨日から歩いてきた稜線が全部見えます。
夕方になると雲海となりました。剣の北方稜線につながる猫又山、その奥の毛勝山です。
日没直後、遠くの白山から、ずっと雲海です。雲海は狭い谷間に発生することが多いと思いますが、石川県から岐阜県、富山県と広い範囲の雲海は初めてです。
佐々成正の埋蔵金伝説のある鍬埼山も島のようになっています。
この日は大日岳の近くにある大日小屋に泊まりました。コロナの関係で定員を減らしていて、隣との間にカーテンがあるなど、以前の一畳に2人は当たり前、下手をすると二畳に5人などということはなくなりました。ただ、土日などになれば、早い時期に予約が必要など、厄介な時代になりました。
9月27日(火)
翌日、朝焼けで剱岳の奥が少し赤くなりました。この日は下り坂で、途中で少し雨も降りました。
この日は一気に1400mほど下ります。
前日、小屋で聞くと少し前にクマの目撃情報があったとのこと。熊鈴の音は好きでないですが、鳴らしながら下山します。
急斜面を下ると、途中で平坦な大日平になります。国際的に重要な湿地を守るラムサール条約の登録地になっていて、木道が続いています。
大日平山荘に到着。小屋の後ろに行くと、左奥に不動滝が見えます。
流れているのは称名川で、下流に称名滝があります。
しばらく湿地帯の平坦な木道を進みますが、再び急斜面になります。特に石が非常に滑りやすく、雨でぬれているので大変でした。このように階段や鎖もあって、また丁寧に切込みを入れていただいているのですが、それでも何回か滑りました。
登山口に到着後、バス停とは逆方向に向かうと日本一の落差350mの称名滝です。
称名滝バス停から富山電鉄立山駅へ、再び富山駅に戻り帰宅しました。
今回は最初の電車の車窓から始まり、最終日の朝まで、いつも剱岳を見ての山行でした。まだ登りたいルートもあるのですが、剱岳が次第に登る山から見る山になっていくようです。
K3号