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比叡山麓 史跡散策

個人山行ブログ
気にかかっていた比叡山麓の史跡巡りの一部を車で移動しながら散策してきました。
2020年12月12日(土) 晴/薄曇
 紅葉も終盤に入り、比叡山麓の史跡探訪と銘打って出かけてきました。
 車道で入れる場所まで行き、そこから徒歩で短時間歩きます。
 移動しながら4ヶ所(霊窟ノ石仏・壺笠山城跡・崇福寺跡・宇佐山城跡)をグルリと徘徊してきました。   

◎ 霊窟ノ石仏(蓬莱丘地蔵)
 比叡山坂本ケーブルが大正末期に建設された折、ほうらい丘駅近くで多数の地蔵群が発掘されたものを集めお祀りしてあるのが霊窟です。
 信長による叡山焼き討ちの際、犠牲となった沢山の人々の霊を慰めるため土地の人々が沢山の地蔵尊を刻み山麓一帯に安置し冥福を祈ったものであると言い伝えられています。

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ケーブル坂本駅を発車してまもなく「ほうらい丘駅」に到着しますが、駅のすぐ横に「霊窟ノ石仏」の安置所があります。 ケーブル利用なら簡単に訪れますが、今回は徒歩できました。

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「霊窟ノ石仏」広場一帯です。斜面に横穴を掘りつくられており周囲は広く整備されていますが徒歩で来るには道は不明瞭です。

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霊窟の円形内部です。中央に祭壇があり周囲に石仏が4段に整然と並んでいます。
およそ150体の石仏が安置され圧倒されます。

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霊窟の円天井の高さはおよそ4~5mで素掘りのままです。地蔵尊の一体一体は古く姿はわかりますが表情までは識別できません。

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霊窟までの路傍に整然と並ぶ石仏です。 あちこちに点在している石仏もあり整備地以外は道も定かでなく藪もひどいため周辺を歩くのは困難です。

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帰り近くの五大堂・南善坊にも立ち寄りましたが、ここにも多くの石仏地蔵が祀られていました。

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周囲地図を参考に付与します。 
 ケーブル駅横からの車道を登り南善坊・直線階段の下に駐車。階段を登らず、左横の直線登山道を100mほど進み右に廻る登山道地点(左下谷側に赤ちょうちんが見えます。ここが霊窟地点)で真っすぐの小道(樹に赤テープあり)を50mほど登ります。すると左側の谷(ケーブル線路)が丘陵状(下がケーブル・トンネル部)に変わるので回り込んで反対側を下ると「霊窟」部広場に出ます。
 帰りは線路反対側の急斜面を登り登山路に戻る小道もありますがお勧めできませんので元来た道を戻るのが無難でしょう。
「霊窟」広場の周辺もあちこち歩いてみましたが荒れ果て傾斜も急で藪がひどく足元が定かでなく散策はお勧めできません。

◎ 壺笠山城跡
 京阪・穴太駅から西・山側に延びる車道を登り「湖ノ美ヶ丘団地」の最奥住宅の横に駐車(2台可)。 ここから登山道に入り約50分で壺笠山山頂421mに着きます。最後の急登部入口はわかりにくく、私も少し迷いました。

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 写真のごとく山頂での展望はありませんが3世紀後半と推定される古墳が山頂部から発掘されています。
また戦国時代1570年には山頂部山城には朝倉・浅井軍が陣を構え、麓・穴太には明智十兵衛が対峙したそうです。翌年、信長の延暦寺焼き討ちで功を認められ滋賀郡を拝領し坂本城を築いたとも記されていました。
 
◎ 崇福寺跡(すうふくじ)
 京阪・滋賀里駅から西・山側へと車道を登りつめ駐車して1時間ほど歩きました。
崇福寺跡(金堂跡・講堂跡)・小金堂跡・弥勒堂跡が川を挟んで小高い丘に散在しています。

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崇福寺・金堂跡だそうです。
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左:崇福寺講堂跡の礎石群        右:境内跡
 崇福寺は平安時代に十大寺の一つに数えられるほどでしたが平安時代末期に山門(延暦寺)と寺門(園城寺)の争いに巻き込まれ次第に衰え、鎌倉時代の末期に遂に廃絶されたようです。

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弥勒堂跡の礎石群です。
 
◎ 宇佐山城跡
 近江神宮の裏手山側に宇佐八幡宮があり、ここまで車で行けます。

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 宇佐八幡宮に参拝し登山道に入ると約1時間で宇佐山335mを往復できます。

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 宇佐山に向かう途中の立派な大樹

 山頂は2ヶ所に分かれ、三ノ丸跡(三ノ丸テラス)はびわ湖側の展望抜群でしたが、もう一方の本丸跡にはテレビ放送塔が建ち昔の面影はありません。

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三ノ丸広場一帯です。反対側はびわ湖の展望が開けます。
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左:三ノ丸からのびわ湖側展望      右:本丸跡のテレビ塔


                       By しばちゃん
 

この記事へのコメント

≫ ♪岳美♪ | 2020年12月14日14時05分
しばちゃんへ
麒麟が来る♪♬♫大迫力で音楽が迫って来る♪♬♩ 
延暦寺焼き討ち場面はつい最近見たばかり
女、子供が逃げ惑うシーンは深く重い
しばちゃんの歩いた道は、PCの画面からも繋がる
戦国の世の哀れさ「高窟ノ石仏」の顔が原型を留めて無い
との事で何となく救われた気がする私
比叡山麓に消えた魂。
戦火の世から幾歳月が流れたろうか~~
平和な時代に生れて良かった(●^o^●)



 

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