8月24日(土)~8月27日(火)
中央アルプス北部を将棊頭山、木曽駒ヶ岳、宝剣岳、空木岳と3泊4日で縦走しました。高低差のあまりない楽な縦走コースと思っていましたが、小さなアップダウンと、結構神経を使う岩場も多く、なかなか手ごわかったです。秋雨前線がちょうど4日間、南の方に下がっていたため、天候に恵まれて展望もよかったです。
8月24日(土)
早朝にJRで滋賀を出発、名古屋で高速バスに乗り換え伊那バスターミナルへ、そこからタクシーで昼頃に桂小場登山口に到着。初日は3時間ほど歩いて大樽避難小屋に泊まりました。5人ほど入ればいっぱいの小さな小屋です。
無人の避難小屋は大変冷えました。
8月25日(日)
胸突八丁といわれる急登を登ると将棊頭山にある西駒山荘に到着。
手前の建物は1915年(大正4年)、今から100年以上前に建設されて「西駒山荘岩室」として登録有形文化財に指定されています。6段組みの花崗岩の壁石のうえに木造の小屋組みが置かれています。
内部は中央の通路の両側に棚があり、昔の山小屋の造りが分かります。数十年前はまだ残っていたと思いますが、今ではこのような造りの山小屋はほとんどないでしょう。ここは今でも十分に現役のようです。
少し行くと新田次郎の小説「聖職の碑」のモデルとなった1913年(大正2年)8月の長野県中箕輪高等小学校の遭難記念碑があります。
森林限界を抜けて木曽駒ヶ岳や宝剣岳が見えてきました。これからたどる道が見えるのは気持ちが良いですが、結構ハードな登りでした。
途中から氷河が造った濃ヶ池を往復しました。宝剣岳も見えます。こんなところにもシカの被害が心配されているようで、センサーカメラが設置されていました。
木曽駒ヶ岳に到着したころは少しガスがかかっていました。頂上を下るとテント場です。日曜の夜にもかかわらず多くのテントがあり、ピンク色のテントを初めて見ました。今日はテント泊です。
夜、テントの外に出ると月が出ていないために星がきれいで,天の川や流れ星も見えました。また、水平線から赤い星のようなものがだんだん大きくなると思ったら、三日月の月の出でした。
8月26日(月)
今日も朝は快晴、宝剣岳に向かいます。少し登ってから、右側を巻いて登ります。
宝剣岳木曽側の岩です。何に見えますか。
振り返ると昨日越えた木曽駒ヶ岳に陽がさしてきました。
御嶽山はすぐ近くです。
宝剣岳の登りです。鎖などがあります。
宝剣岳の頂上というのははっきりしませんが、後ろの岩が一番高いところです。この上に立つことはできますが、かなり勇気がいります。
これからたどる縦走路です。遠くに空木岳、その右奥に南駒ヶ岳が見えます。一見なだらかな縦走路に見えますが、すぐにそうでないことが分かります。
宝剣岳の下りも鎖場などの難所がつづきます。
真ん中に見える岩壁に鎖があり、そこを下ります。宝剣岳を越えてからの方が大変です。
猿に出会いました。ハイマツの実を食べています。以前に北アルプスの爺が岳で数十匹の大群に出会って怖かったですが、これくらいなら可愛いいものです。
宝剣岳から既にだいぶ下っています。
見かけ以上に小さなアップダウンがあるうえに、結構神経を使う岩場が続きます。大体ペンキの標識がありますが、一部ルートが分かりにくいところもあります。山のグレーディングでは「C」になっていますが、もう少し難しい気がしました。
青空が出ていますが、北の高気圧に覆われていて、秋の空です。
伊那谷からガスが上がってきますが、木曽谷は晴れています。
今日は木曽殿山荘で宿泊、前日までの避難小屋、テントと違って、暖かく寝られました。
8月27日(火)
暗いうちに小屋を出発、途中で日の出です。昨日に比べると雲が増えてきて、水平線付近の雲のためか、きれいな日の出は見られませんでしたが、赤く焼けています。
空木岳の登りも岩がごろごろしています。
今回のゴールの空木岳頂上です。
頂上からは伊那谷を挟んで南アルプスがきれいです。左から北岳、間ノ岳、農鳥岳、真ん中の塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳で、写真には写っていませんが左に甲斐駒、仙丈と、南アルプスの高峰がすべて見られます。
塩見岳の後ろには富士山がかすかに顔を出しています。
昨日歩いた稜線を振り返ります。なだらかな縦走路に見えますが、実際は小さなアップダウンがたくさんあり、しかも岩場も多くあって、大変でした。
あとは管の台に向かって、池山尾根をひたすら下ります。
少し下がったところにある駒峰ヒュッテから空木岳を振り返ります。
途中にはシラカバなどの美しい森があります。
ゴールは菅の台のバスセンター、すぐ近くのこまくさの湯で入浴、定番のソースカツどんを食べたのち、バスで名古屋、そこからJRに乗り継いで滋賀に帰りました。
直前まで秋雨前線の影響で天気が悪かったのですが、ちょうど山行中の4日間は前線が南に下がり、北の高気圧に覆われて好天が続きました。
木曽駒から空木の縦走コースを最初に歩いたのは、山を始めて間なしの1973年で、ちょうどその頃流行った「神田川」の歌詞「若かったあの頃 何も怖くなかった」のとおり、「こんなものか」という感じでした。
その次は2003年で、この時はかなり大変だと感じた記憶がありますが、今回あらためて、なかなか手ごわい縦走コースだと再認識しました。
早朝にJRで滋賀を出発、名古屋で高速バスに乗り換え伊那バスターミナルへ、そこからタクシーで昼頃に桂小場登山口に到着。初日は3時間ほど歩いて大樽避難小屋に泊まりました。5人ほど入ればいっぱいの小さな小屋です。
無人の避難小屋は大変冷えました。
8月25日(日)
胸突八丁といわれる急登を登ると将棊頭山にある西駒山荘に到着。
手前の建物は1915年(大正4年)、今から100年以上前に建設されて「西駒山荘岩室」として登録有形文化財に指定されています。6段組みの花崗岩の壁石のうえに木造の小屋組みが置かれています。
内部は中央の通路の両側に棚があり、昔の山小屋の造りが分かります。数十年前はまだ残っていたと思いますが、今ではこのような造りの山小屋はほとんどないでしょう。ここは今でも十分に現役のようです。
少し行くと新田次郎の小説「聖職の碑」のモデルとなった1913年(大正2年)8月の長野県中箕輪高等小学校の遭難記念碑があります。
森林限界を抜けて木曽駒ヶ岳や宝剣岳が見えてきました。これからたどる道が見えるのは気持ちが良いですが、結構ハードな登りでした。
途中から氷河が造った濃ヶ池を往復しました。宝剣岳も見えます。こんなところにもシカの被害が心配されているようで、センサーカメラが設置されていました。
木曽駒ヶ岳に到着したころは少しガスがかかっていました。頂上を下るとテント場です。日曜の夜にもかかわらず多くのテントがあり、ピンク色のテントを初めて見ました。今日はテント泊です。
夜、テントの外に出ると月が出ていないために星がきれいで,天の川や流れ星も見えました。また、水平線から赤い星のようなものがだんだん大きくなると思ったら、三日月の月の出でした。
8月26日(月)
今日も朝は快晴、宝剣岳に向かいます。少し登ってから、右側を巻いて登ります。
宝剣岳木曽側の岩です。何に見えますか。
振り返ると昨日越えた木曽駒ヶ岳に陽がさしてきました。
御嶽山はすぐ近くです。
宝剣岳の登りです。鎖などがあります。
宝剣岳の頂上というのははっきりしませんが、後ろの岩が一番高いところです。この上に立つことはできますが、かなり勇気がいります。
これからたどる縦走路です。遠くに空木岳、その右奥に南駒ヶ岳が見えます。一見なだらかな縦走路に見えますが、すぐにそうでないことが分かります。
宝剣岳の下りも鎖場などの難所がつづきます。
真ん中に見える岩壁に鎖があり、そこを下ります。宝剣岳を越えてからの方が大変です。
猿に出会いました。ハイマツの実を食べています。以前に北アルプスの爺が岳で数十匹の大群に出会って怖かったですが、これくらいなら可愛いいものです。
宝剣岳から既にだいぶ下っています。
見かけ以上に小さなアップダウンがあるうえに、結構神経を使う岩場が続きます。大体ペンキの標識がありますが、一部ルートが分かりにくいところもあります。山のグレーディングでは「C」になっていますが、もう少し難しい気がしました。
青空が出ていますが、北の高気圧に覆われていて、秋の空です。
伊那谷からガスが上がってきますが、木曽谷は晴れています。
今日は木曽殿山荘で宿泊、前日までの避難小屋、テントと違って、暖かく寝られました。
8月27日(火)
暗いうちに小屋を出発、途中で日の出です。昨日に比べると雲が増えてきて、水平線付近の雲のためか、きれいな日の出は見られませんでしたが、赤く焼けています。
空木岳の登りも岩がごろごろしています。
今回のゴールの空木岳頂上です。
頂上からは伊那谷を挟んで南アルプスがきれいです。左から北岳、間ノ岳、農鳥岳、真ん中の塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳で、写真には写っていませんが左に甲斐駒、仙丈と、南アルプスの高峰がすべて見られます。
塩見岳の後ろには富士山がかすかに顔を出しています。
昨日歩いた稜線を振り返ります。なだらかな縦走路に見えますが、実際は小さなアップダウンがたくさんあり、しかも岩場も多くあって、大変でした。
あとは管の台に向かって、池山尾根をひたすら下ります。
少し下がったところにある駒峰ヒュッテから空木岳を振り返ります。
途中にはシラカバなどの美しい森があります。
ゴールは菅の台のバスセンター、すぐ近くのこまくさの湯で入浴、定番のソースカツどんを食べたのち、バスで名古屋、そこからJRに乗り継いで滋賀に帰りました。
直前まで秋雨前線の影響で天気が悪かったのですが、ちょうど山行中の4日間は前線が南に下がり、北の高気圧に覆われて好天が続きました。
木曽駒から空木の縦走コースを最初に歩いたのは、山を始めて間なしの1973年で、ちょうどその頃流行った「神田川」の歌詞「若かったあの頃 何も怖くなかった」のとおり、「こんなものか」という感じでした。
その次は2003年で、この時はかなり大変だと感じた記憶がありますが、今回あらためて、なかなか手ごわい縦走コースだと再認識しました。
K3号