5月19日~22日 大峯奥駆道北部(吉野~山上ヶ岳~八経ヶ岳~釈迦岳~太古の辻~前鬼)を4日間かけて歩きました。昨年の同時期に南部を歩きましたので、2年間かけて奥駆道全部歩くことができました。
誕生日を来月初めに控え、?十代最後の大きな山行となりました。
前日18日は滋賀からJR、近鉄を乗り継いで夕方に吉野駅に到着、吉野下千本にある旅館に泊まりました。
(1日目)5月19日(金) 晴れ
4時半に旅館を出発、金峯山寺蔵王堂にこれからの山の安全を祈ります。最近は洞川から登られることの多い大峯山ですが、本来は吉野から登ります。
吉野の街中は道路があちこち分岐していて、登山道に入る前に何回も道に迷い、1時間ほどロスして、あせりました。
青根ヶ峰付近からようやく山道らしくなり、四寸岩山を越えて二蔵小屋に到着、ここまで6時間もかかってしまいました。
一昨年はこの小屋にお世話になりました。無人ですが、毛布などもあり、水場も少し下がった所にあります。利用は行者さん優先になります。
ここから大天井ヶ岳まで約400mの登りになります。そこを下ると五番関となり、ここが女人結界となります。明治に高野山の女人禁制が解かれてから、日本ではここだけが女人禁制です。いろいろ議論のあるところで、ここから大普賢の手前まで、女性の方は現在は入れない所ですが、お許しください。
吉野からしばらくは植林地が多かったですが、このあたりにくると、ブナなどの新緑が美しい、明るい道になります。
稲村ヶ岳も見えてきます。
山上ヶ岳も近づき、ほら貝の音も聞こえてきます。宿坊の方の話によると、行者同志は、ほら貝は会話するそうです。平日ということもあって白装束の行者さんに一人だけしか会いませんでしたが、ここでのあいさつは「ようお参り(よーまぃり)」です。
洞川(どろかわ)からの道が合流したところにある洞辻茶屋です。長い小屋の中を道が通っていて、休憩ができます。
山頂近くになると、鎖場も出てきます。
頂上近くにある行場です。ホールド、スタンスとも豊富で登れるように思いますが、行場なので行者さんたちの先達なしで登るのはご法度です。
吉野から11間ほどで頂上に到着。山上の蔵王堂と言われる大峯山寺があります。
一番高い所には聖蹟「湧出岩」があり、左下に見える一等三角点はそれより少し低い所にあります。さすがに聖なるところに三角点を置くわけにはいかなかいようです。
頂上付近は広いお花畑になっています。
明日たどることになる弥山への稜線と、その奥に明後日たどり着く釈迦岳が望めます。
頂上にはいくつも宿坊がありますが、龍泉寺の宿坊にお世話になりました。
お寺なので、食堂には立派な仏壇もあります。
天井には千社札や記念のサイン?がびっしりとありました。
多い時にはにぎわうのでしょうが、平日の今日の宿泊者は私を入れて6人でした。
お風呂も入れてもらって、食事の後は宿坊の方に修験道の話など、面白い話をいろいろと聞かせてもらいました。
(2日目)5月20日(土) 晴れ
今日も4時半に宿坊を出発、頂上から少し縦走路に入った所できれいな朝焼けが見られました。はるか遠くにきれいな三角形の山が見えましたが、もしやと思って帰ってからカシミールで調べると、やはり富士山でした。
富士山の少し右から陽が昇ってきましたが、明るくなると富士山は見えなくなりました。バックが色づいていたので、富士山が見えたようです。
もう少し時期が違うと、ダイアモンド富士になるところでした。
ちなみにネットで調べると最も遠くから見えるのは那智勝浦町妙法山ということで、富士山から323kmということです。カシミールによると、大峰山は富士山から284kmです。
山上ヶ岳から半時間ほど行くと、小笹宿があり、流水もあってテント適地です。
尾根道は樹林帯ですが、木々が密ではないので明るい道です。また、展望も結構あります。
ただ、倒木は多いです。
大普賢岳周辺はシャクナゲの群落が多いですが、今年は少し開花が遅いようで、また、花芽のないものも多く、もう一つでした。良い年、時期に来れば見事だと思います。
200mほど登って大普賢岳の頂上に到着、右にはこれから向かう弥山、八経ヶ岳が、そこから左奥へは明日行く釈迦岳への縦走路が見えます。
大峯には深い谷も多くあります。
大普賢岳を振り返ります。
朝出発した山上ヶ岳もだいぶ遠くなりました。左は稲村ヶ岳付近です。
行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)の頂上は見晴らしはありませんが、シャクナゲに覆われていて、ここは結構咲き始めていました。
行者還岳から下って行者還岳避難小屋の少し手前に、水量豊富な水場がありました。
行者還岳避難小屋は、比較的新しく、2階もあるきれいな小屋です。毛布も置いてありました。
明るい道が続き、コバイケイソウの群落も多くあります。
それまで今日は5人程度しか会いませんでしたが、奥駆道出合からは、八経ヶ岳にピストンする人でにぎわっています。
ようやく聖宝ノ宿跡、ここからいよいよ最後の300m以上の登りが始まります。
20歳代半ばにここを登った時は大変だった記憶があるので、とにかく一歩づつ足を前に置いていけば、いつか頂上に着くとあきらると、思っていたよりは楽に小屋に到着しました。古い小屋も残っていましたが、新しい立派な小屋になっていました。
今日は11時間近い行程でした。
八経ヶ岳が間近に見られます。
頂上には神社があります。
この日は土曜日で、ツアーの方もあって、数十人は泊まっていました。
(3日目)5月21日(日)
この日も4時半頃に小屋を出発、八経ヶ岳の少し手前で御来光です。中央に見えるのは大台ケ原方面です。
あちこちにありますが、八経ヶ岳頂上にも行者さんのお札がたくさん置かれています。
八経ヶ岳から朝日に染まる明星ヶ岳を見ます。
昨日通過した大普賢岳が、光の関係で水墨画のように見えます。
八経ヶ岳からすぐの明星ヶ岳からこれからたどる釈迦岳(右奥)が見えます。ここから見るとすぐ近くに見えましたが、尾根筋が曲がっていることもあって、間違いでした。立ち枯れの木も多いです。
大きな岩壁も見えます。岩登りの場所としてはあまり聞かないのですが、アプローチが大変なのでしょうか。
古い記憶ですが、この辺は大台ケ原に似た感じだと思います。トウヒ、シラビソの原生林です。
孔雀岳近くの「鳥の水」の水場です。手前の楊枝ヶ宿小屋の水場はほとんど流量がなく、釈迦岳先の深仙小屋の水場もそんなに流量がなかったので、太古の辻までの今日のコースでは、ここが一番の水場でした。
釈迦岳手前には岩場、岩峰が多くあります。
これは孔雀覗から東側にある岩峰です。地図に書かれている屏風岩と思います。
こんな形の岩もあります。
岩場を通過してやっと釈迦岳の登りにかかるかと思ったら、ここでもゴジラみたいな大きな岩が行く手をはばみ、左側に回り込みます。
ようやく釈迦岳の登りになりました。遠くから見ていると、樹林帯のように見えましたが、ここも結構岩場がありました。
ようやく釈迦岳頂上に到着、立派なお釈迦様が迎えてくれます。
この釈迦如来像は台座を含めて3.6mですが、大正時代に「鬼マサ」と呼ばれた伝説の強力(ごうりき)が3つに分けて前鬼口から8kmを一人で担ぎ上げたということです。台座だけでも135キロあるらしいです。
今日歩いてきた八経ヶ岳(左)からの稜線を振り返ります。八経ヶ岳の右奥にかすかに山上ヶ岳が見えます。
今日も釈迦岳までは日曜日にかかわらず、5人程度しか会わなかったのですが、頂上にはたくさんの人がいました。3時間程度で登れる登山口があるのに初めて気が付きました。
釈迦岳の下りは歩きやすい道で、アカヤシオがたくさんありました。
釈迦岳を下ると大日岳が立派に見えます。
大日岳の頂上は縦走路から離れています。ここにも行場がありますが、登山者は立ち入り禁止です。
正面の岩が行場ですが、登山者は右の巻き道を行きます。ただ、この巻き道も岩場があって、けっこう大変でした。
やっと太古の辻に到着、昨年はここから南へ向かいましたが、今回はここから東側に前鬼に向けて600m以上降ります。
今日は時間的に余裕があると思っていたので、前半はかなりゆっくりペースでしたが、あちこち寄り道をしたりして、大変時間オーバーして遅くなりました。
前鬼への下りは長い階段もあり、また、道迷い遭難もあった所です。確かに開けた沢沿いを歩くところなどは間違いやすいようですが、赤テープも要所要所にあり、慎重に確かめながら最後の頑張りで降ります。
途中に「二つ岩」と言われる岩があります。
やっと五鬼童氏の住居跡に到着、五鬼助さんの小仲坊はすぐ近くです。
今日は12時間かかってようやく前鬼小仲坊に到着しました。
役行者の弟子の夫婦がこの地(前鬼)に住み着いて、その五人の子供(五鬼熊、五鬼童、五鬼上、五鬼助、五鬼継)が代々この地で修験者のために宿坊を守ってきましたが、明治以降五鬼助さん以外はこの地を離れました。
今は五鬼助さんが大阪の自宅から土日にここに来てお世話いただいています。今日の泊り客は二人だけで、お風呂の後、宿坊の縁側で食事をいただくという贅沢をしました。
この日は日曜日なので、私たちの食事後、五鬼助さんは奥さんと愛犬と一緒に大阪に帰られ、私たちは平日用の宿泊棟に泊まりました。
(4日目)5月22日(月)
今日は4時に小仲坊を出て、バス停の前鬼口に向かいます。このバスは1日に1本、7時半頃のバスに遅れたら、とんでもない費用でタクシーを呼ぶか、ヒッチハイクをするしかありません。
途中に不動七重滝の展望台があります。
前鬼川の流れもきれいで、不動七重滝への遊歩道をたどればエメラルドグリーンの川床に降りることができます。
無事に前鬼口バス停に到着、ここには休憩所、トイレ、自動販売機があって助かりました。
バスで近鉄の下市へ、そこから京都駅を経て昼過ぎに滋賀に帰りました。
あと2泊すれば熊野本宮大社まで、奥駆道をすべて歩けるのですが、さすがにもう無理でしょう。
山上ヶ岳から(女性は大普賢岳から)釈迦岳への道は、樹林帯ですが明るく見晴らしもあり、また、変化のある岩場もあります。修験だけではなく、登山の縦走路としても面白いコースだと思います。
(1日目)5月19日(金) 晴れ
4時半に旅館を出発、金峯山寺蔵王堂にこれからの山の安全を祈ります。最近は洞川から登られることの多い大峯山ですが、本来は吉野から登ります。
吉野の街中は道路があちこち分岐していて、登山道に入る前に何回も道に迷い、1時間ほどロスして、あせりました。
青根ヶ峰付近からようやく山道らしくなり、四寸岩山を越えて二蔵小屋に到着、ここまで6時間もかかってしまいました。
一昨年はこの小屋にお世話になりました。無人ですが、毛布などもあり、水場も少し下がった所にあります。利用は行者さん優先になります。
ここから大天井ヶ岳まで約400mの登りになります。そこを下ると五番関となり、ここが女人結界となります。明治に高野山の女人禁制が解かれてから、日本ではここだけが女人禁制です。いろいろ議論のあるところで、ここから大普賢の手前まで、女性の方は現在は入れない所ですが、お許しください。
吉野からしばらくは植林地が多かったですが、このあたりにくると、ブナなどの新緑が美しい、明るい道になります。
稲村ヶ岳も見えてきます。
山上ヶ岳も近づき、ほら貝の音も聞こえてきます。宿坊の方の話によると、行者同志は、ほら貝は会話するそうです。平日ということもあって白装束の行者さんに一人だけしか会いませんでしたが、ここでのあいさつは「ようお参り(よーまぃり)」です。
洞川(どろかわ)からの道が合流したところにある洞辻茶屋です。長い小屋の中を道が通っていて、休憩ができます。
山頂近くになると、鎖場も出てきます。
頂上近くにある行場です。ホールド、スタンスとも豊富で登れるように思いますが、行場なので行者さんたちの先達なしで登るのはご法度です。
吉野から11間ほどで頂上に到着。山上の蔵王堂と言われる大峯山寺があります。
一番高い所には聖蹟「湧出岩」があり、左下に見える一等三角点はそれより少し低い所にあります。さすがに聖なるところに三角点を置くわけにはいかなかいようです。
頂上付近は広いお花畑になっています。
明日たどることになる弥山への稜線と、その奥に明後日たどり着く釈迦岳が望めます。
頂上にはいくつも宿坊がありますが、龍泉寺の宿坊にお世話になりました。
お寺なので、食堂には立派な仏壇もあります。
天井には千社札や記念のサイン?がびっしりとありました。
多い時にはにぎわうのでしょうが、平日の今日の宿泊者は私を入れて6人でした。
お風呂も入れてもらって、食事の後は宿坊の方に修験道の話など、面白い話をいろいろと聞かせてもらいました。
(2日目)5月20日(土) 晴れ
今日も4時半に宿坊を出発、頂上から少し縦走路に入った所できれいな朝焼けが見られました。はるか遠くにきれいな三角形の山が見えましたが、もしやと思って帰ってからカシミールで調べると、やはり富士山でした。
富士山の少し右から陽が昇ってきましたが、明るくなると富士山は見えなくなりました。バックが色づいていたので、富士山が見えたようです。
もう少し時期が違うと、ダイアモンド富士になるところでした。
ちなみにネットで調べると最も遠くから見えるのは那智勝浦町妙法山ということで、富士山から323kmということです。カシミールによると、大峰山は富士山から284kmです。
山上ヶ岳から半時間ほど行くと、小笹宿があり、流水もあってテント適地です。
尾根道は樹林帯ですが、木々が密ではないので明るい道です。また、展望も結構あります。
ただ、倒木は多いです。
大普賢岳周辺はシャクナゲの群落が多いですが、今年は少し開花が遅いようで、また、花芽のないものも多く、もう一つでした。良い年、時期に来れば見事だと思います。
200mほど登って大普賢岳の頂上に到着、右にはこれから向かう弥山、八経ヶ岳が、そこから左奥へは明日行く釈迦岳への縦走路が見えます。
大峯には深い谷も多くあります。
大普賢岳を振り返ります。
朝出発した山上ヶ岳もだいぶ遠くなりました。左は稲村ヶ岳付近です。
行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)の頂上は見晴らしはありませんが、シャクナゲに覆われていて、ここは結構咲き始めていました。
行者還岳から下って行者還岳避難小屋の少し手前に、水量豊富な水場がありました。
行者還岳避難小屋は、比較的新しく、2階もあるきれいな小屋です。毛布も置いてありました。
明るい道が続き、コバイケイソウの群落も多くあります。
それまで今日は5人程度しか会いませんでしたが、奥駆道出合からは、八経ヶ岳にピストンする人でにぎわっています。
ようやく聖宝ノ宿跡、ここからいよいよ最後の300m以上の登りが始まります。
20歳代半ばにここを登った時は大変だった記憶があるので、とにかく一歩づつ足を前に置いていけば、いつか頂上に着くとあきらると、思っていたよりは楽に小屋に到着しました。古い小屋も残っていましたが、新しい立派な小屋になっていました。
今日は11時間近い行程でした。
八経ヶ岳が間近に見られます。
頂上には神社があります。
この日は土曜日で、ツアーの方もあって、数十人は泊まっていました。
(3日目)5月21日(日)
この日も4時半頃に小屋を出発、八経ヶ岳の少し手前で御来光です。中央に見えるのは大台ケ原方面です。
あちこちにありますが、八経ヶ岳頂上にも行者さんのお札がたくさん置かれています。
八経ヶ岳から朝日に染まる明星ヶ岳を見ます。
昨日通過した大普賢岳が、光の関係で水墨画のように見えます。
八経ヶ岳からすぐの明星ヶ岳からこれからたどる釈迦岳(右奥)が見えます。ここから見るとすぐ近くに見えましたが、尾根筋が曲がっていることもあって、間違いでした。立ち枯れの木も多いです。
大きな岩壁も見えます。岩登りの場所としてはあまり聞かないのですが、アプローチが大変なのでしょうか。
古い記憶ですが、この辺は大台ケ原に似た感じだと思います。トウヒ、シラビソの原生林です。
孔雀岳近くの「鳥の水」の水場です。手前の楊枝ヶ宿小屋の水場はほとんど流量がなく、釈迦岳先の深仙小屋の水場もそんなに流量がなかったので、太古の辻までの今日のコースでは、ここが一番の水場でした。
釈迦岳手前には岩場、岩峰が多くあります。
これは孔雀覗から東側にある岩峰です。地図に書かれている屏風岩と思います。
こんな形の岩もあります。
岩場を通過してやっと釈迦岳の登りにかかるかと思ったら、ここでもゴジラみたいな大きな岩が行く手をはばみ、左側に回り込みます。
ようやく釈迦岳の登りになりました。遠くから見ていると、樹林帯のように見えましたが、ここも結構岩場がありました。
ようやく釈迦岳頂上に到着、立派なお釈迦様が迎えてくれます。
この釈迦如来像は台座を含めて3.6mですが、大正時代に「鬼マサ」と呼ばれた伝説の強力(ごうりき)が3つに分けて前鬼口から8kmを一人で担ぎ上げたということです。台座だけでも135キロあるらしいです。
今日歩いてきた八経ヶ岳(左)からの稜線を振り返ります。八経ヶ岳の右奥にかすかに山上ヶ岳が見えます。
今日も釈迦岳までは日曜日にかかわらず、5人程度しか会わなかったのですが、頂上にはたくさんの人がいました。3時間程度で登れる登山口があるのに初めて気が付きました。
釈迦岳の下りは歩きやすい道で、アカヤシオがたくさんありました。
釈迦岳を下ると大日岳が立派に見えます。
大日岳の頂上は縦走路から離れています。ここにも行場がありますが、登山者は立ち入り禁止です。
正面の岩が行場ですが、登山者は右の巻き道を行きます。ただ、この巻き道も岩場があって、けっこう大変でした。
やっと太古の辻に到着、昨年はここから南へ向かいましたが、今回はここから東側に前鬼に向けて600m以上降ります。
今日は時間的に余裕があると思っていたので、前半はかなりゆっくりペースでしたが、あちこち寄り道をしたりして、大変時間オーバーして遅くなりました。
前鬼への下りは長い階段もあり、また、道迷い遭難もあった所です。確かに開けた沢沿いを歩くところなどは間違いやすいようですが、赤テープも要所要所にあり、慎重に確かめながら最後の頑張りで降ります。
途中に「二つ岩」と言われる岩があります。
やっと五鬼童氏の住居跡に到着、五鬼助さんの小仲坊はすぐ近くです。
今日は12時間かかってようやく前鬼小仲坊に到着しました。
役行者の弟子の夫婦がこの地(前鬼)に住み着いて、その五人の子供(五鬼熊、五鬼童、五鬼上、五鬼助、五鬼継)が代々この地で修験者のために宿坊を守ってきましたが、明治以降五鬼助さん以外はこの地を離れました。
今は五鬼助さんが大阪の自宅から土日にここに来てお世話いただいています。今日の泊り客は二人だけで、お風呂の後、宿坊の縁側で食事をいただくという贅沢をしました。
この日は日曜日なので、私たちの食事後、五鬼助さんは奥さんと愛犬と一緒に大阪に帰られ、私たちは平日用の宿泊棟に泊まりました。
(4日目)5月22日(月)
今日は4時に小仲坊を出て、バス停の前鬼口に向かいます。このバスは1日に1本、7時半頃のバスに遅れたら、とんでもない費用でタクシーを呼ぶか、ヒッチハイクをするしかありません。
途中に不動七重滝の展望台があります。
前鬼川の流れもきれいで、不動七重滝への遊歩道をたどればエメラルドグリーンの川床に降りることができます。
無事に前鬼口バス停に到着、ここには休憩所、トイレ、自動販売機があって助かりました。
バスで近鉄の下市へ、そこから京都駅を経て昼過ぎに滋賀に帰りました。
あと2泊すれば熊野本宮大社まで、奥駆道をすべて歩けるのですが、さすがにもう無理でしょう。
山上ヶ岳から(女性は大普賢岳から)釈迦岳への道は、樹林帯ですが明るく見晴らしもあり、また、変化のある岩場もあります。修験だけではなく、登山の縦走路としても面白いコースだと思います。
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