急峻な山の多い日本に三大山崩れと称する山があると知って、今回その一つを訪ねてみた。
2020年8月4日(火)~5日(水) 晴のち薄曇り 参加 2人
念願の大谷崩れに行ってきました。 想い入れが強く、つい長いブログになりましたが飛ばし飛ばしでも読んでいただくとありがたいです。
参加者はマスク着用・消毒液での洗浄、三蜜回避に気を付け、現地でも過疎地帯にも関わらず感染対策にはかなり神経を使って受け入れ対策に務めていることに安心感を抱く。 特に立ち寄った浜松SAはかなりの徹底ぶりに随分気を使っているなと感じた。
梅ヶ島温泉までは37kmにわたるドライブである。最初は安部川の堤防道を北上するが川幅は広く多数の細流に分かれて流れ下っている。まもなく山間部が迫ってくるが、その景観が我が滋賀県とはかなり違うことに気が付く。 安部川は蛇行しながら狭い谷あいを流れているが、迫る山々は最初からさほど高い山々ではないのに傾斜が異常にきつい。そのためあちこちで山崩れ・崖崩れの痕跡が残り、それが上流に進むにつれ爪痕が多くなる。
その最奥にあるのが梅ヶ島温泉。高度1000mの温泉宿をベースに周辺の登山に出掛けるのだがどこも急峻な道を選ばざるを得ないよう、さぞかし苦労するだろうと想像する。
安部川の最上流部 左側の狭い平地に梅ヶ島温泉宿が約10軒
地誌によれば、宝永4年(1707年)10月28日に南海トラフの大地震(M8.4~8.6)が起こり東海・南海・四国の沿岸に巨大津波が襲い、その余波で大谷嶺を中心とする静岡県側南面が大崩落をおこす。 規模は東西約1.8km、高度差800m、土砂量 1億2千万平方メートル(大型ダンプ2千万車分)とあるが膨大過ぎてイメージできない。
因みに富士山宝永火山の大爆発はその49日後であったと記録されている。 数年前から洪水や地震に再三襲われ日本にとっては未曽有の大災害であったらしい。
登山口の現地案内板 長年の崩れ止め・修復工事でかなりの部分で緑化が戻ったとあった。
初日は到着時間も昼すぎと早く、午後は車で登山口の見学、滝の見学にあて下山者からの情報、現地旅館主、紹介された梅ヶ島地区の駐在お巡りさんなどに話を聞くことができた。 中でも駐在お巡りさんが山情報に詳しいのには驚いた。
この地区は急峻な山々のため長時間コースが多く山慣れた地元県民登山者が多いらしい。
多数のコースの中でも大谷嶺へと大谷崩れを登るコースが一番無難だと言う。よって、充分老齢の域に達している今回の二人には明日このコースの偵察に出かけることにした。
なお、登山時期も紅葉時期(山頂部は10/中下、温泉地区は11/上中)が最もお薦めとも聞く。
10:50 新窪乗越(1850m) 11:05→→ 大谷嶺手前P1961→(往路を戻る)→
12:50新窪乗越 13:00→(往路を戻る)→14:45登山口⇒⇒梅ヶ島温泉(入浴)
⇒⇒帰路へ 行動時間 6時間20分
大谷崩れ登山のトラック
朝、旅館を車で出発、大谷崩駐車場へ、20分ばかりで着く。 登山届を投函しようとしているとバイクがのこのこと上がってくる。よく見ると昨夜電話で情報を得た親切な駐在お巡りさん、またまた丁寧なアドバイスを貰い「気を付けて行ってください」となんと丁寧なと感激。こんなの初めての経験! 下山後、旅館で入浴した折聞いた話だが、朝我々が出発した後を追って登山口まで追っかけてくれたらしい。 年齢を聞いて心配をかけたのか?、迷惑をかけてしまったのか?
駐車場横の大谷川に設置された数段ある過去の堰堤(高さ5m)は上流から流された岩石流でほとんど埋め尽くされ荒々しさが伺える。 少し登ると幸田文の記念碑があり大きな沢ガレを渡り、さらに森林帯では岩苔のついた美しい部分もありで「扇ノ要」と称する場所を通過。傾斜は次第に急になり、まもなくガレ場下に着く。
登山口駐車場横の流れ 5mの堰堤は既に埋もれそう
幸田文の山崩れ記念石碑
沢ガレの間の森林帯 岩苔が美しい
いよいよ本格的な新窪乗越への険しいガレ場が始まる。
ここを登れると思うと気が重い。
ここから上が本格的な崩壊地らしい。 足元はサッカーボール級の岩がゴツゴツ、見上げると新窪乗越に向かって延々と続くガレ場、右側から順に一ノ沢から五ノ沢までの崩壊地が展開している。 圧倒される風景、道ははっきりしないが所々に赤テープ布や赤く塗られた岩がある。 老体にはきつすぎる、果たして登れるのかと不安になるが行くしかない、だめなら敗退バックと心に決め出発。
道の状態は徐々に変化しガレ岩も細かくなったり荒くなったり、傾斜が強くなると少しずり落ちる場所も出てくる。 広大なガレ場を横に眺めると斜度50度以上あろうかと思う斜面が実にきれいに流れている。 つたない私の写真技術や文章力では充分表現できないのが残念です。 喘ぎ喘ぎで途中二回休憩。 最後の登りはかすかについたジグザグ道をずりながらやっと登り切った感じ。
登り斜面に向かって右側のガレ場 この上が大谷嶺らしい。
その横のガレ場、 遠くから見るときれいな斜面だが
かなり登り新窪乗越に近い地点から、ガスに煙る山頂が頭を出す。
上の窪地が新窪乗越。 道は悪いがあと少し、頑張ろう!
新窪乗越は平坦な草付き台地でやっと一息。 反対の北側山梨県側は緑豊かな山稜地帯で全くの別世界。
ここで無理せず下山も考えたが、休憩をとって元気が出たのかもう少し登ってみようと大谷嶺を目指して出発。
新窪乗越の峠
稜線をガレ周辺沿いにアップダウンを二度繰り返し山頂かと思いきや、さらに40m降下、その先100mほど登ったガスに煙る山頂が大谷嶺とわかる。 だが、ガスも徐々に濃くなり体力も消耗しており、もう満足とばかりあっさり下山を決断。 残念というより、やせ我慢ではないが満足感の方が大きかった。
山頂稜線部の樹木に付いた熊の爪痕。
下山後聞いたが温泉近くでも結構熊が出没するらしい。
山頂部から崩落ガレを覗いてみると オーコワァ‼
新窪乗越からの下りは心配したほどの恐怖感はない。足首を保護できる登山靴で捻挫に注意すれば大丈夫、道を外れず、少しずり落ちる感じで慎重に歩いて下山完了。
新窪乗越下から登山口方向を見る
ガレ下でやっと緊張がほぐれる。あとはのんびりと下山。
ガレ場の岩隙間に咲く可憐な高山花3種 生命力に脱帽。
夏山と言えば北ア・南アなど高山に眼を向けがちだが、中堅どころの山にも魅力的な山があるものだと体験したのは大きい。遅すぎるかな!
秋の紅葉時期は素晴らしいと聞く。梅ヶ島温泉での癒しを兼ね再度訪れたいとの気持ちとあのガレ場を登るのはもう沢山との気持ちとが、今は複雑に絡み合っている。 しばらく間をおいて決めるとしよう。
だけど、皆さんには魅力ある山の一つとして推薦したいです。
次はいつの日か「稗田山崩れ」を眺めに行ってみたいものだ ‼
ついつい長ったらしいブログになってしまい恐縮でした。 完読された方、ありがとう感謝感謝です。
By しばちゃん
念願の大谷崩れに行ってきました。 想い入れが強く、つい長いブログになりましたが飛ばし飛ばしでも読んでいただくとありがたいです。
- 大谷崩れ(おおやくずれ)に興味を持った経緯
- コロナ禍での道中
参加者はマスク着用・消毒液での洗浄、三蜜回避に気を付け、現地でも過疎地帯にも関わらず感染対策にはかなり神経を使って受け入れ対策に務めていることに安心感を抱く。 特に立ち寄った浜松SAはかなりの徹底ぶりに随分気を使っているなと感じた。
- 現地宿泊地、梅ヶ島温泉までの道中
梅ヶ島温泉までは37kmにわたるドライブである。最初は安部川の堤防道を北上するが川幅は広く多数の細流に分かれて流れ下っている。まもなく山間部が迫ってくるが、その景観が我が滋賀県とはかなり違うことに気が付く。 安部川は蛇行しながら狭い谷あいを流れているが、迫る山々は最初からさほど高い山々ではないのに傾斜が異常にきつい。そのためあちこちで山崩れ・崖崩れの痕跡が残り、それが上流に進むにつれ爪痕が多くなる。
その最奥にあるのが梅ヶ島温泉。高度1000mの温泉宿をベースに周辺の登山に出掛けるのだがどこも急峻な道を選ばざるを得ないよう、さぞかし苦労するだろうと想像する。
安部川の最上流部 左側の狭い平地に梅ヶ島温泉宿が約10軒
- 大谷崩れの歴史
地誌によれば、宝永4年(1707年)10月28日に南海トラフの大地震(M8.4~8.6)が起こり東海・南海・四国の沿岸に巨大津波が襲い、その余波で大谷嶺を中心とする静岡県側南面が大崩落をおこす。 規模は東西約1.8km、高度差800m、土砂量 1億2千万平方メートル(大型ダンプ2千万車分)とあるが膨大過ぎてイメージできない。
因みに富士山宝永火山の大爆発はその49日後であったと記録されている。 数年前から洪水や地震に再三襲われ日本にとっては未曽有の大災害であったらしい。
登山口の現地案内板 長年の崩れ止め・修復工事でかなりの部分で緑化が戻ったとあった。
- 現地登山路の下調べ
初日は到着時間も昼すぎと早く、午後は車で登山口の見学、滝の見学にあて下山者からの情報、現地旅館主、紹介された梅ヶ島地区の駐在お巡りさんなどに話を聞くことができた。 中でも駐在お巡りさんが山情報に詳しいのには驚いた。
この地区は急峻な山々のため長時間コースが多く山慣れた地元県民登山者が多いらしい。
多数のコースの中でも大谷嶺へと大谷崩れを登るコースが一番無難だと言う。よって、充分老齢の域に達している今回の二人には明日このコースの偵察に出かけることにした。
なお、登山時期も紅葉時期(山頂部は10/中下、温泉地区は11/上中)が最もお薦めとも聞く。
- 大谷崩れから大谷嶺への登山
10:50 新窪乗越(1850m) 11:05→→ 大谷嶺手前P1961→(往路を戻る)→
12:50新窪乗越 13:00→(往路を戻る)→14:45登山口⇒⇒梅ヶ島温泉(入浴)
⇒⇒帰路へ 行動時間 6時間20分
大谷崩れ登山のトラック
朝、旅館を車で出発、大谷崩駐車場へ、20分ばかりで着く。 登山届を投函しようとしているとバイクがのこのこと上がってくる。よく見ると昨夜電話で情報を得た親切な駐在お巡りさん、またまた丁寧なアドバイスを貰い「気を付けて行ってください」となんと丁寧なと感激。こんなの初めての経験! 下山後、旅館で入浴した折聞いた話だが、朝我々が出発した後を追って登山口まで追っかけてくれたらしい。 年齢を聞いて心配をかけたのか?、迷惑をかけてしまったのか?
駐車場横の大谷川に設置された数段ある過去の堰堤(高さ5m)は上流から流された岩石流でほとんど埋め尽くされ荒々しさが伺える。 少し登ると幸田文の記念碑があり大きな沢ガレを渡り、さらに森林帯では岩苔のついた美しい部分もありで「扇ノ要」と称する場所を通過。傾斜は次第に急になり、まもなくガレ場下に着く。
登山口駐車場横の流れ 5mの堰堤は既に埋もれそう
幸田文の山崩れ記念石碑
沢ガレの間の森林帯 岩苔が美しい
いよいよ本格的な新窪乗越への険しいガレ場が始まる。
ここを登れると思うと気が重い。
ここから上が本格的な崩壊地らしい。 足元はサッカーボール級の岩がゴツゴツ、見上げると新窪乗越に向かって延々と続くガレ場、右側から順に一ノ沢から五ノ沢までの崩壊地が展開している。 圧倒される風景、道ははっきりしないが所々に赤テープ布や赤く塗られた岩がある。 老体にはきつすぎる、果たして登れるのかと不安になるが行くしかない、だめなら敗退バックと心に決め出発。
道の状態は徐々に変化しガレ岩も細かくなったり荒くなったり、傾斜が強くなると少しずり落ちる場所も出てくる。 広大なガレ場を横に眺めると斜度50度以上あろうかと思う斜面が実にきれいに流れている。 つたない私の写真技術や文章力では充分表現できないのが残念です。 喘ぎ喘ぎで途中二回休憩。 最後の登りはかすかについたジグザグ道をずりながらやっと登り切った感じ。
登り斜面に向かって右側のガレ場 この上が大谷嶺らしい。
その横のガレ場、 遠くから見るときれいな斜面だが
かなり登り新窪乗越に近い地点から、ガスに煙る山頂が頭を出す。
上の窪地が新窪乗越。 道は悪いがあと少し、頑張ろう!
新窪乗越は平坦な草付き台地でやっと一息。 反対の北側山梨県側は緑豊かな山稜地帯で全くの別世界。
ここで無理せず下山も考えたが、休憩をとって元気が出たのかもう少し登ってみようと大谷嶺を目指して出発。
新窪乗越の峠
稜線をガレ周辺沿いにアップダウンを二度繰り返し山頂かと思いきや、さらに40m降下、その先100mほど登ったガスに煙る山頂が大谷嶺とわかる。 だが、ガスも徐々に濃くなり体力も消耗しており、もう満足とばかりあっさり下山を決断。 残念というより、やせ我慢ではないが満足感の方が大きかった。
山頂稜線部の樹木に付いた熊の爪痕。
下山後聞いたが温泉近くでも結構熊が出没するらしい。
山頂部から崩落ガレを覗いてみると オーコワァ‼
新窪乗越からの下りは心配したほどの恐怖感はない。足首を保護できる登山靴で捻挫に注意すれば大丈夫、道を外れず、少しずり落ちる感じで慎重に歩いて下山完了。
新窪乗越下から登山口方向を見る
ガレ下でやっと緊張がほぐれる。あとはのんびりと下山。
ガレ場の岩隙間に咲く可憐な高山花3種 生命力に脱帽。
夏山と言えば北ア・南アなど高山に眼を向けがちだが、中堅どころの山にも魅力的な山があるものだと体験したのは大きい。遅すぎるかな!
秋の紅葉時期は素晴らしいと聞く。梅ヶ島温泉での癒しを兼ね再度訪れたいとの気持ちとあのガレ場を登るのはもう沢山との気持ちとが、今は複雑に絡み合っている。 しばらく間をおいて決めるとしよう。
だけど、皆さんには魅力ある山の一つとして推薦したいです。
次はいつの日か「稗田山崩れ」を眺めに行ってみたいものだ ‼
ついつい長ったらしいブログになってしまい恐縮でした。 完読された方、ありがとう感謝感謝です。
By しばちゃん