2023年4月29日(土)
JRの滋賀里駅から出発し、志賀越(山中越)の古道を歩きました。途中の山中町からはバリエーションルートで比叡山からの道と合流し、東山三十六峰の瓜生山から京都市内に下山しました。
前半は石仏、寺院跡などの歴史を感じる古道を歩き、後半は地図読みもしながら岩場もあるバリエーションルートも歩き、5時間程度の比較的短時間のルートでしたが、変化のあるルートを楽しみました。
京都と滋賀は古くから多くの道で結ばれており、今回の志賀越の他、逢坂越、小関越、如意越が今でもハイキングルートなどとしても残っています。志賀越はこの中でも一番歩かれることが少ないと思いますが、歴史を感じられるルートです。
JRの志賀駅から出発、すぐに「日本の茶栽培の発祥地」という立札がありました。ちょうど前日、京都市の「まつたけ山復活させ隊」というグループで、茶摘みをしたところでした。この日の数日後の5月2日は「茶摘み」歌で歌われた八十八夜です。と言っても、最近は分からない人も多いかもしれません。
住宅地を過ぎると百穴古墳群の遺跡があります。下の方しか見ませんでしたが、斜面の上に向けて古墳が広がっており、案内板を見ると、50くらいあるようです。
林道になっている志賀越古道に入ると早速石仏が現れます。
少し先に行くと志賀の大仏(おぼとけ)です。高さ3mの阿弥陀如来像、室町時代の作で道中の安全を守る道祖神として有名です。建物はありますが、大仏さんは外に出ています。地元の方でしょうか、前で掃除をされていました。
志賀越との分岐を、一旦右に比叡山方面に向かうと崇福寺跡です。
天智天皇(626-671)が大津京の鎮護のために建立した寺で、礎石が残っています。
カエデの新緑がきれいで、紅葉の頃は賑わっています。
再び志賀越に戻ります。こんな石にも小さな仏さんが彫られています。細部が見えにくくなっていますが、三尊像です。
林道が次第に細くなって、登山道になります。少しルートが分かりにくいところもあります。
多分台風で崩れた斜面の跡地です。これでも随分整備されたと思います。左の方に高い位置で切られている木がありますが、多分横たわっている木を切ったのちに、根元が重いので立ち上がったものと思います。
フジだろうと思いますが、つるが絡みついて締めあげています。この日もあちこちでフジの花がきれいに咲いていましたが、締め上げて、時には枯れ死させるらしいです。見かけによらず、えげつないです。
志賀峠に到着です。
峠には首の落ちた仏さんが、ひっそりと残されています。
峠は、志賀越古道が比叡山ドライブウェイと交わっているところにあり、ドライブウェイの下をくぐります。
峠を越えると登山道が分岐していて、多分こちらが志賀越の古道と思いますが、谷筋を歩きます。古い階段がありますが、あまり人が歩いていないようで、滑りながら降りました。
ほとんど歩かれていない割には、標識は立派です。
谷を出ると、山中町の手前に広いところがあり一息入れます。
ヤマツツジと思いますが、ミツバツツジなどに比べると赤が鮮やかで目立ちます。
これも往時の街道沿いあったのでしょうか、「辨財天女」「不動明王」などの文字が読めます。
今の山中越の車道に合流します。
山中越の舗装道路を横切って、しばらく山中町の古い町並みを歩きます。左を流れている川は白川で、京都市に入って鴨川と合流します。流域一帯は花崗岩が多く、白砂が敷き詰められているようで白川と命名されたようです。
白い川底に水が流れています。「まつたけ山復活させ隊」の仲間が教えてくれましたが、百人一首に志賀越で読んだ一首があります。
山川に風のかけたるしらがみは流れもあへぬ紅葉なりけり(春道列樹)
美しい紅葉が流れずに留まっていた様子を詠んだ歌のようです。詳しくはネットで。
秋になれば、こんな景色が見られるかもしれません。
他にも志賀越で紀貫之が詠んだ歌もあるようで、当時は賑わっていたようです。
山中町は京都市と思っていましたが、実は滋賀県大津市です。山中町にある下水のマンホールが、ここが滋賀県であることを主張しています。信楽の狸、琵琶湖大橋、びわ湖花火、今は撤去された大観覧車など。他も分かりますか?
山中町の西教寺に、道に面して高さ2.7mの阿弥陀如来像があります。鎌倉時代末期頃に造られたものです。このお寺にはお堂もあるのですが、道路際から道行く人々の安全を祈っています。
京都市側の入り口にも、このような大きな石仏があります。
他にもこんな石仏がさりげなくありました。
このまま志賀越の古道を辿ろうとすると、山中越の幹線道路を歩かなければならないので、古道はこれで終了です。比叡山から瓜生山への道に合流するため、舗装道路から再び山中に入ります。入り口は半ば埋もれた階段がありますが、標識も何もありません。
踏み跡がかすかにあるかどうか程度ですが、尾根がはっきりしているので、ルートを見つけるのは、そんなに難しくはないと思います。結構急なところもあります。ここも新緑が美しいです。
ちょっとした岩場もあります。
灌木が道を遮っているところもあります。
383mのピークで、比叡山と瓜生山を結ぶ道と合流します。この近くになると踏み跡がはっきりとしてきますが、多分、迷って入ってしまった人の往復の踏み跡でしょう。
383mのピークを過ぎて、山の中では初めて他の人と出会いました。一旦谷に下ってから対岸に渡ります。
しばらく登ると、メインルートの京都一周トレイルに合流します。
瓜生山への途中、今日のコースで唯一の展望のある所です。中央少し右の山肌の出ているところは送り火の「妙」「法」のどちらかではないかと思います。
最後のゴールの301m瓜生山は東山三十六峰の一つで、お堂のある広場になっています。南の如意が岳城などと同様、室町時代から山城が築かれ、戦略上の要所として戦国時代の舞台となりました。
お堂の裏側にも石仏が祭られていましたが、こちらは戦のための守り仏です。
瓜生山から市内の北白川仕伏町に下山、北白川別当町のバス停を探して道に迷い、街中でリングワンデリングをしました。京都地下鉄東山駅に向かう帰りのバスは、超満員でした。
歴史を感じながら静かな山を楽しめ、ルートを探しながらもある変化に富んだコースでした。
今度は紅葉の時期に歩きたいと思います。
JRの志賀駅から出発、すぐに「日本の茶栽培の発祥地」という立札がありました。ちょうど前日、京都市の「まつたけ山復活させ隊」というグループで、茶摘みをしたところでした。この日の数日後の5月2日は「茶摘み」歌で歌われた八十八夜です。と言っても、最近は分からない人も多いかもしれません。
住宅地を過ぎると百穴古墳群の遺跡があります。下の方しか見ませんでしたが、斜面の上に向けて古墳が広がっており、案内板を見ると、50くらいあるようです。
林道になっている志賀越古道に入ると早速石仏が現れます。
少し先に行くと志賀の大仏(おぼとけ)です。高さ3mの阿弥陀如来像、室町時代の作で道中の安全を守る道祖神として有名です。建物はありますが、大仏さんは外に出ています。地元の方でしょうか、前で掃除をされていました。
志賀越との分岐を、一旦右に比叡山方面に向かうと崇福寺跡です。
天智天皇(626-671)が大津京の鎮護のために建立した寺で、礎石が残っています。
カエデの新緑がきれいで、紅葉の頃は賑わっています。
再び志賀越に戻ります。こんな石にも小さな仏さんが彫られています。細部が見えにくくなっていますが、三尊像です。
林道が次第に細くなって、登山道になります。少しルートが分かりにくいところもあります。
多分台風で崩れた斜面の跡地です。これでも随分整備されたと思います。左の方に高い位置で切られている木がありますが、多分横たわっている木を切ったのちに、根元が重いので立ち上がったものと思います。
フジだろうと思いますが、つるが絡みついて締めあげています。この日もあちこちでフジの花がきれいに咲いていましたが、締め上げて、時には枯れ死させるらしいです。見かけによらず、えげつないです。
志賀峠に到着です。
峠には首の落ちた仏さんが、ひっそりと残されています。
峠は、志賀越古道が比叡山ドライブウェイと交わっているところにあり、ドライブウェイの下をくぐります。
峠を越えると登山道が分岐していて、多分こちらが志賀越の古道と思いますが、谷筋を歩きます。古い階段がありますが、あまり人が歩いていないようで、滑りながら降りました。
ほとんど歩かれていない割には、標識は立派です。
谷を出ると、山中町の手前に広いところがあり一息入れます。
ヤマツツジと思いますが、ミツバツツジなどに比べると赤が鮮やかで目立ちます。
これも往時の街道沿いあったのでしょうか、「辨財天女」「不動明王」などの文字が読めます。
今の山中越の車道に合流します。
山中越の舗装道路を横切って、しばらく山中町の古い町並みを歩きます。左を流れている川は白川で、京都市に入って鴨川と合流します。流域一帯は花崗岩が多く、白砂が敷き詰められているようで白川と命名されたようです。
白い川底に水が流れています。「まつたけ山復活させ隊」の仲間が教えてくれましたが、百人一首に志賀越で読んだ一首があります。
山川に風のかけたるしらがみは流れもあへぬ紅葉なりけり(春道列樹)
美しい紅葉が流れずに留まっていた様子を詠んだ歌のようです。詳しくはネットで。
秋になれば、こんな景色が見られるかもしれません。
他にも志賀越で紀貫之が詠んだ歌もあるようで、当時は賑わっていたようです。
山中町は京都市と思っていましたが、実は滋賀県大津市です。山中町にある下水のマンホールが、ここが滋賀県であることを主張しています。信楽の狸、琵琶湖大橋、びわ湖花火、今は撤去された大観覧車など。他も分かりますか?
山中町の西教寺に、道に面して高さ2.7mの阿弥陀如来像があります。鎌倉時代末期頃に造られたものです。このお寺にはお堂もあるのですが、道路際から道行く人々の安全を祈っています。
京都市側の入り口にも、このような大きな石仏があります。
他にもこんな石仏がさりげなくありました。
このまま志賀越の古道を辿ろうとすると、山中越の幹線道路を歩かなければならないので、古道はこれで終了です。比叡山から瓜生山への道に合流するため、舗装道路から再び山中に入ります。入り口は半ば埋もれた階段がありますが、標識も何もありません。
踏み跡がかすかにあるかどうか程度ですが、尾根がはっきりしているので、ルートを見つけるのは、そんなに難しくはないと思います。結構急なところもあります。ここも新緑が美しいです。
ちょっとした岩場もあります。
灌木が道を遮っているところもあります。
383mのピークで、比叡山と瓜生山を結ぶ道と合流します。この近くになると踏み跡がはっきりとしてきますが、多分、迷って入ってしまった人の往復の踏み跡でしょう。
383mのピークを過ぎて、山の中では初めて他の人と出会いました。一旦谷に下ってから対岸に渡ります。
しばらく登ると、メインルートの京都一周トレイルに合流します。
瓜生山への途中、今日のコースで唯一の展望のある所です。中央少し右の山肌の出ているところは送り火の「妙」「法」のどちらかではないかと思います。
最後のゴールの301m瓜生山は東山三十六峰の一つで、お堂のある広場になっています。南の如意が岳城などと同様、室町時代から山城が築かれ、戦略上の要所として戦国時代の舞台となりました。
お堂の裏側にも石仏が祭られていましたが、こちらは戦のための守り仏です。
瓜生山から市内の北白川仕伏町に下山、北白川別当町のバス停を探して道に迷い、街中でリングワンデリングをしました。京都地下鉄東山駅に向かう帰りのバスは、超満員でした。
歴史を感じながら静かな山を楽しめ、ルートを探しながらもある変化に富んだコースでした。
今度は紅葉の時期に歩きたいと思います。
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